W-asiのアメプロおぼえがき

AEWのせいで15年ぶりにアメプロ沼落ちしたオタクのブログです

ライオンサルトと首切りポーズとズルしていただき

 アメプロ界の現役レジェンド、クリス・ジェリコと、アメプロ次世代の旗手であろうMJF、2人の共通点は「しっかりとプロレスができて、喋りも達者、そしてリング上でキャラクターとしての自分自身を演じることに長けている」という部分である。

2人が並んだらさぞ楽しかろう、と期待していたファンは多くいただろうが、まさかそれがミュージカルとして叶えられると予想していたファンはゼロに等しいのではないだろうか。あまりのぶっ飛んだ展開に私も目が点になった。全体的に安っぽい作りではあるものの、2人のキャラクターが最大限に生かされた楽しい演出だった。

 

では、これがいざプロレスになるとどうだろう?その答えがMJFのインナーサークル入りを賭けたFULL GEARでの対戦であった。

正直言うと、「純粋なプロレス」としてはあんまりいい内容ではなかった。数日後に50歳の誕生日を控えたスターレスラーにかつての俊敏さはなく、MJFが気を使ってテンポを遅くしているのが目に見えてしまっていた。

だが、それは「純粋なプロレス」としての話だ。この試合は、自身が幼い頃に憧れたであろう「WWEのスター」クリス・ジェリコへのMJFのメッセージである。少なくとも、私はそう思っている。

 

その理由は3つだ。

1つめは試合中盤に見せたMJFのライオンサルト。不発にこそ終わったが、ジェリコの得意技であるライオンサルトをMJFが跳んで見せたことに意味がないわけがないのだ。なぜなら、彼は跳ばないことを自身のプライドと定義づけている節があるからだ。試合はいつも、得意のサブミッションとルール違反のダイナマイト・リング(凶器にしてるでかい指輪)で展開してみせる。だが彼は跳んだ。それは「俺だってこのぐらいできるんだ」とジェリコに見せつけるため?これが他のレスラーならそうかもしれない。でも、MJFはプロレスオタクで、AEWの若手の誰よりもプロレスというエンターテイメントを心から敬愛する男だ。ただ自己主張のためだけにそんなことをするだろうか?

2つめはジェリコをロープに追いつめた際に見せた首切りポーズ。これは別に珍しいものではない。日本のレスラーだって、半沢直樹に出てた香川照之だってやっている。だが、これもMJFが意味もなくやったとは私には思えない。その答えは後にわかることになる。

3つめはジェリコのバット攻撃未遂をレフェリーに誤審させるためにわざとリングに大の字に寝ころび、倒れたフリをしたことだ。ゼロ年代のアメプロオタクならご存知と思うが、これはエディ・ゲレロの「ズルしていただき」戦法そのままである。ただのパクリやパロディだと笑うオタクもいるだろう。だが、これは2つめの謎を解くための鍵なのだ。

1はクリス・ジェリコ、3はエディ・ゲレロ、なら残された2が意味する人物はーーー

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クリス・ベノワである。

 

アメプロファンではなくとも、90年代プロレスのファンであれば、彼ら3人の関係性は古くから有名だったという。3人は親友だったのだから。(*正確には現AEWシニア・プロデューサーのディーン・マレンコを含んだ4人)

第1回目のnoteで散々書いたが、私はベノワのファンであり、そして3人の関係に特別な思い入れがあった。

ダイナマイト・キッドに憧れてプロレスラーになり、修行のために日本に来たベノワ。まだカナダのインディーにいた頃から、異国の地で戦うベノワに憧れていたジェリコ。メキシコのプロレス一家の末っ子で、誰よりもプロレスの才能に恵まれていたエディ。3人は日本で出会い、そして親友になった。まだ彼らが「ワイルド・ペガサス」「ライオンハート」「ブラックタイガー」と呼ばれていた頃の話である。

ベノワとエディは新日の所属だったが、ジェリコは当時WARに所属していた。団体を越えたお祭りとして企画された第2回スーパーJカップのトーナメント戦においてジェリコは初めてのベノワとの対戦で敗北し涙を流したが、それは悔しさからの涙ではなく、憧れていたベノワとの初対戦という夢が叶ったことからの涙だったという。そして、その1年前に開催された第1回スーパーJカップの王者はワイルド・ペガサスことクリス・ベノワその人である。過酷な戦いを勝ち抜きリングで喜びの雄叫びをあげるベノワに、すぐに駆け寄ったのは生涯の親友、エディだった。

その後、アメリカに渡った彼らは、ルートは違えどECW→WCWWWF(当時)へと転戦し、世界最大のプロレス団体のメインを張るほどの世界的なスターレスラーになっていった。

だが、2005年、突然の別れがやってきた。最初の記事にも書いたエディの死である。だがその頃、ジェリコWWEにいなかった。かねてからの夢だった音楽活動や俳優業に専念するために退団していたのだ。

そしてジェリコWWEに戻らぬまま、2年後にベノワもこの世を去る選択をした。それは妻と息子を巻き添えにした凶行であった。

天才故の苦悩とドラッグでボロボロの体を抱え、命の火が消えたように死んでしまったエディ。親友を失った悲しみと家族殺しの罪を背負って命を絶ったベノワ。

短期間に親友2人を失ったジェリコの悲しみは想像にたえない。もしその場ーWWEに自分がいたら、せめてベノワは救えたのではないかと苦悩したこともあっただろうと思うのだ。

ベノワの前妻の息子であるデビッドによると、残された家族を心配して電話をかけてきたのはジェリコと、エディの甥であるチャボjr.だけだったという。

その数ヶ月後、ジェリコWWEへと帰還するが、そこは親友のいないリング。それでもジェリコは生きて戦い抜く選択をしたのだ。

 

それから10年が過ぎた2017年、ジェリコは親友2人が在籍していた新日のリングに立った。「新日でキャリアを終わらせたい」と呟いていたベノワの願いを叶えるかのように。

そして2020年、ジェリコはプロレス活動30周年を迎え、もうすぐ50歳になろうとしていた。アメリカでは50歳を迎える前に死んでしまうレスラーが少なくない。トップで活躍していたレスラーが50を過ぎて現役というのは凄いことなのだ。

でも、どうしてジェリコのお祝いに、ベノワとエディはいないんだろう…私はそれがとても悲しかった。できることなら3人揃ってバカ話でもしてほしかった。決して叶うことではないとわかっていても。

だからこそ、MJFがリングの上でジェリコ、ベノワ、エディを再現してくれたことに気づいた時、私は感動した。それは私がずっと見たかった景色だったから。

MJFはジェリコへの最大の敬意として、親友だった3人の要素を組み込んだ試合をしてみせたのだ。

たとえ、これが私の思い違いだったとしても。

 

ありがとうMJF。

そして50歳のお誕生日おめでとう、ジェリコ